世界で最もボルドーワインを売った男

気持ちのよい青空が広がる年末の火曜日の朝です。

天気がよいので掃除をするには都合がよいのですが、寒い、そして北風が強い…。昨年の年末は忙しく、大掃除を簡単に済ませたので今年は早めに開始しました。

昨日は窓拭きを、まあ寒いこと、気温が比較的高くなるお昼過ぎを狙って行いましたが、北風の冷たさにしびれました。掃除をしながら年末の梱包作業などしつつ、ワインの情報をチェックしていると面白い記事をみつけました。ワインを販売しているものにとってはすこぶる興味が惹かれる見出しです。

 

「世界で最も多くのボルドーを売った男、サイモン・ステイプルズが死去」

 

記事によると…

世界で最も多くのボルドーを売る男と呼ばれたサイモン・ステイプルズが、先月亡くなっていたことがわかった。55歳だった。ジャンシス・ロビンソンによると、サイモンは11月22日に亡くなった。豪放らい落な性格で、陽気なジョークを連発し、豪快にワインを飲んだ。何よりもワインを愛していて、世界各地に広がる顧客に高級ワインを売っていた。

「俺たちほど恵まれた仕事はないよな」というのが口癖で、世界のワイン業界の動向や造り手の人柄などを直に教わった。早すぎる死にショックを受けている。英国のワイン業界も悲しみに沈んでいるだろう。

 

 

サイモンはハロッズのワイン売り場を経て、老舗ワイン商のベリー・ブラザーズ&ラッド(BB&R)に入社。2011年にロンドンから香港に異動して、ワインの関税が撤廃された市場を開拓してボルドー・プリムールを売りまくった。

2014年に東京に異動し、セールス・ディレクターに就任。富裕層を相手にボルドーブルゴーニュなどの高級ワインを売りまくった。ボルドーではランシュ・バージュとオー・バイィが好みで、日本に広めるのに一役買った。2016年に英国に呼び戻された。
情報量の多さと外向的な性格から、幅広い人脈を誇り、様々なメディアに登場した。2014年に日本で公開されたドキュメンタリー映画「世界一美しいボルドーの秘密」に出演した。サイモンは最後はレイ&ウィーラーで個人顧客の担当ディレクターを務めていた。

 

という内容。「Wine Report 山本昭彦」

 

 

ステイプルズ氏はロンドンで活躍していましたが、中国市場の可能性に目をつけて、香港駐在を志望しました。さらに、税率が高く、成長が減速している中国本土よりも、日本に可能性があると見て、異動を希望したそうです。全権を任されて、日本市場でビジネスすることに意欲を見せ、当時、「日本市場を揺るがす」と語っていたとのこと。

日本時代に彼の下で働いたスタッフには、独立してワインショップやワインスクールを興した人材も少なくない。日本にも確実に種をまいていったようです。

BB&Rは世界最大級のボルドー・プリムールのバイヤーとして知られています。ステイプルズ氏は、プリムールを含むボルドーの買い付けに長年たずさわり、BB&Rのファインワイン・バイヤーの顔的な存在でした。英国のデカンターやドリンクス・ビジネスなどに、しばしばワイン商の代表としてコメントが掲載されていました。映画「世界一美しいボルドーの秘密」にも、ワイン商代表として出演しました。

私は、恥ずかしながらサイモン・ステイプルズ氏のお名前を存じ上げておりませんでした。

10年位前の話です。当時、よくワインを仕入れ、懇意にしていたインポーターに営業Wさんがおりました。仕事の出来る方で、ワインの情報を沢山くださり、また、お値打ちなワインを手頃な価格のものから、高級で付加価値の高いワインまで色々教えてくださいました。販売実績も高かったようで、信頼しており、また、助かっていました。そんなある日、Wさんがベリー・ブラザーズ&ラッド(BB&R)に転職すると聞きました。残念な気持ちとともに、引き抜かれたのかな、とも思っていたのですが、よくある事なので忘れてしまいました。今回の記事を読んで、「ああ、Wさんはサイモン・ステイプルズ氏の下で働くことを希望したのだ」と腑に落ちました。

個人的な意見ですが、ワインの最新情報はインポーターさんに集まり、情報誌はその次のようです。ワインの世界は夢見がちなところがありますが、いくら素晴らしいワインをつくっても売れなければワイナリー経営は成り立ちません。作り手さんにとって大切なのはワインの販売を手伝ってくれているインポーターさんです。彼らには本音も沢山話しているようで、情報誌などには載っていない裏の話をよく聞くことがあります、色々な意味で面白いのです。

それは、それは多くのボルドーを売っていたサイモン・ステイプルズ氏、どれだけ多くの情報をもっていたのかと想像します。W氏もなびく訳です。記事を読むと人柄も良さそう、情報量の多さと人柄が武器だったのかな…???  なんて思い描いた記事なのでありました。